どうかこのまま:宮崎県美郷町渡川地区PR映像

宮崎県美郷町渡川地区のPR映像の音楽に、
国吉亜耶子and西川真吾Duoの
『どうかこのまま』を使って下さいました。

映像制作の福井さんから、
楽曲を使いたいとご連絡をいただいたのは、
お正月の帰省中の沖縄だった。

その時に仮の映像を送っていただき、
早速、動画を見る。
その景色や人々にとても感動し、早速母に見せた。
母もすごく気に入ってくれた。
何よりも喜んでくれたのが嬉しかった。

今回、是非この映像をご覧いただきたいです。

決して自身で制作し、
発表するMVではありませんが、

美しい景色、
そこで働く人々の願い。
子供達の笑顔や泣き顔。
おじいちゃんおばあちゃんの笑顔。
渡川地区を愛する家族の温かさ。
故郷で受け継がれている想い。
受け継がれていくべき行事。

そんな溢れんばかりの映像に、
自身の音楽が出会い重なる。

 

胸がいっぱいになり涙が出る。何度見ても。

自分の楽曲がこのような形で使用されることは、
理想であり本望なのだと改めて強く思いました。

日常で繰り広げられるドラマのBGMである事、
時に寄り添い、時に励ますような、
もちろん聴いてくださる方が、
好きな場面で好きな時に聴いていただけることが一番。

作り込まれたMVもいいですが、
こういう形がこの曲にはとても合う。
何よりもしっくり来ています。

この曲にとっての映像作品として、
とても理想的な形ではないかと思っています。

素晴らしい風景の一部になれること、
そのような結びをしてくださった福井さん、
そして渡川地区の皆様には本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

本当にありがとうございます。

叶うことならば、いつか渡川地区のお祭りで、
皆さんに歌を届けに行けたら。
そこで演奏して歌えたら、そう思っています。

 

『どうかこのまま』

この曲を生まれた瞬間を、
今でもはっきりと覚えています。
ちょうど10年くらい前。

一人でスタジオに入っていた。
特にこれといった目的も無く、
一日中やることが無くて入ったスタジオだった。

鍵盤に向かい、適当に弾いていた。
「あー、どうかこのまま」
そう勝手に歌って生まれた歌。
口から勝手に出て来た言葉、メロディ。

だからこう言っている。

「歌うたう私は 歌う意味知らなくて」

その時は「どうかこのまま」、
どうしてそう歌ったのかなんて、
特に意味はわからなかったし考えていなかった。

その時の気持ちのまま歌になった。
とても寂しい気持ちだったことだけは覚えている。

そうだろうなぁ。
やることなくて目的もなく、
一人でスタジオに来ているくらいだもの。

曲を作り終え、後に気付く。
「変わってしまうことを知っているから」
「少なくともその可能性があることを知っているから」
だから「変わらないで」と願っているんだなぁ、と。
意識せずともわかっていることだけれど、
自分の曲で改めて感じさせられた。

作った当時のあの悲しい気持ちや寂しさ、
そんな倒れそうな心を支えてくれる存在が、
音楽を通して出会う人たちだった。
だからこう歌ったんだと思う。

「ただ生まれる前から ただあなたに会いたかったんだ」

そして今、私はとてもこの気持ちに近い感情を抱いている。

生まれる前から会いたい人なんて、
そんな風に思える出会いなんて。

今ある自分の作品の言葉の中で、
これ以上の最大の愛情表現はないんじゃないかと思う。

例えば。
親が生まれる前の子供に想うような。
子供がお腹から出てくる時のような。
そんなとてつもなく大きな愛情。

だから私はとても幸せだなぁと思う。

 

私の母は、
戦争の疎開中に宮崎県で生まれた。

私の母方の祖母は亡くなる前に、
「おじいちゃんが迎えに来ている」
「都城に行く」と言った。
祖父が祖母と母を迎えに来たのが、
宮崎県の都城だったそうです。

色々なことが繋がって、
今の私がここに居ます。

宮崎県。きっと行きます。

いつか必ず。

 

今、思ったこと。
この写真は2014年のもの。
昨年も一昨年も花火見れなかったんだな。

今年の目標がひとつ出来たぞ。

花火が見たい。
もしも叶うならば、浴衣を着て。
浴衣を着てお祭りに行った記憶が無い。
生まれてはじめての浴衣の花火!

最後はボウリングかな。
もしもその時に浴衣を着てたら、
おとなしく見学してよう。
(我慢できるかなー。)

 

Seeya!

 

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