離れていること、側にいること

写真は前日の夜。

月が素晴らしく美しかった。
こんな月を眺めたから、
色々なことを思い出したのだろうな。

 

「月がひとつで良かった」

心の底からそう思った。

同じ月を眺めるということが、
嬉しいと感じられる距離感は、
すぐ隣にいないからだろう。

誰かが世界の何処かで、
きっと同じ月を見て、
きっと同じような気持ちになっていたら、
その時、ほんの少しだけ、
魔法がかかるような気持ちになる。

 

「そんなことは絵本の中の話だ」

なんていう実際のことはどうでもいい。

“月がひとつで良かった”

そんな風に思うなんてこと自体が、
何よりも幸せの証拠なのだろう。

車を持っていない私の行動範囲は限られていて、
駅からの徒歩圏内が私の住む世界となる。

何度もしつこいが、
運転資格は無いので、
車を持つことも出来ないのだけれど。

駅に降りるということは、
大体が目的や予定があってのこと。

東京都は日本の中でも面積としては小さい。
ちなみに40位以下はこんな感じ。

40 奈良県
41 鳥取県
42 佐賀県
43 神奈川県
44 沖縄県
45 東京都
46 大阪府
47 香川県
(Wikipediaより)

意外なのは43位の神奈川だな。
もっと広いイメージがある。

 

家からそんなに離れていない、
頑張れば歩いて行けそうな滅多に降りない駅に降りる。

隣の中野駅は何度か行ったことがある。

“東中野”

ひとつ駅が変わるだけで、
こんなにも景色が変わるなんて。

駅を降りたら目の前に広がる茜色。

空はどこにでもある。

 

それは夜空の月と同じ。
でも見る場所によって色々な表情だ。
時間の経過と共に変化して行く。

月のようには行かない部分がある。

その土地の天気によっても、
色や雲の形も変わってしまう。

だから同じ空を見るということは、
同じ月を見るというのとは、少し違うのかもしれない。

 

空は何処にでもある。
ずっとそこにある。

空が繋がっているから同じ月が観れる。

でも同じ瞬間に空を見上げていたとしても、
同じ空を観れるとは限らないんだな。

 

月が見えない夜もなる。

それは見えないだけ。

ずっとそこにある。

私の気持ちと同じ。

 

Seeya!

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