ヒストリー 第3章:カウント3・2・・・

8月2日

東京に戻り荷物を家に置いて、スタジオへ向かう。
身体がまぁまぁ、痛い。
マッサージに行きたいなぁ。
そう思うことは結構あるけれど、
今回ばかりはいつも以上に”行きたい度”が大きかった。
スタジオに向かう途中に、いつ行けるかなぁ。。
スケジュールを考えていた。
「いや、今はまだいいや」そう思った。
東京に戻ったとは言え、関西ツアーから続いていた。
私はとても大きな”お守り”を手にしていた。

これくらい、全然、余裕!まだまだ持つぞ!
そんな気分だった。

8月24日までにあと2本のライブが決まっていた。
どちらのライブも私にとっては大きな挑戦だった。

08.07(sun)
東京・代々木 Zher the ZOO YOYOGI
カンボジア・チャリティ・ロックフェス vol.2 2016 Summer in Tokyo

出演:KOSMIC / シビレナマズ / ABC友の会 / やくそくバンド / 国吉亜耶子and西川真吾duo / 松岡芽衣(音楽療法士) / JHP・学校をつくる会(国際支援活動のお話) / 荒舩由宇里(司会)
主催:maimai records
※皆様からの支援金はカンボジアの孤児院「幸せの子どもの家」に寄付されます。

KOSMICさんに呼んでいただいたイベント。
“カンボジア・チャリティ・ロックフェス”

KOSMICさんとの出会いは、活動再開してまだ2か月後くらいかな。
昨年の11月、渋谷Milky Way。
自分自身もようやくライブに慣れてきたかな、という時期だった。

その時からイベントのお話を聞いていて
「是非、呼びたい」そう声をかけていただき実現した。
だからこの日に呼んでもらえた事は、本当に嬉しいことだった。

出演全5バンド。
そしてライブとライブの合間に、大切なお話が繰り広げられる。

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JHP上田さん&チャリアさんのスピーチ。
チャリアさんは、涙を流しながら語ってくれた。
学校へ行けない子供がたくさんいること、
スラム街で弟たちとゴミを拾って生活していた頃。
チャリアさんは現在日本に留学に来ている大学生です。
彼女の努力を思うと胸が締め付けられました。

WILLONEさんは、
カンボジアのこれからのこと、
支援することだけではない、
ビジネスを含めた未来を考えていました。

ヒップホップ・ダンサーのRosさんは、
ご自身が難民として日本にやってきたこと、
ダンサーになるまでの経緯、
カンボジアに居る子供たちにも夢を、
そんな熱い思いが伝わりました。

NFSJさんは、
人身売買と現代の奴隷制について。
このお話は
自分のライブ前のスピーチということもあり、
セッティングをして終わって、
ピアノの前に座ってじっと聞いていました。
内容はとてもとても重めのものでした。
これが現実なのか、そう思いました。
同じ人間として生まれて来たのに、
生まれた場所が違うだけで、
こんなにも変わってしまうのだろうか。
とても苦しい思いでした。

チャリティーって、とても難しい。
ずっとそう思っていた。

今でも忘れない。

2011年3月11日

大阪の心斎橋サンホールで、
フィリピンのチャリティーイベントに出演した。
チャー絆にお誘いいただいたイベントだった。
会場に到着して展示されたお写真などを見ていた。
少しでも現地への思いを共有したかった。

リハーサルの準備をしていた頃。
揺れた。
大阪の地下が揺れた。
一瞬、めまいかと思った。
「スピーカーなどから離れて」
そのような感じだったと思う。
みんな慌てていた。
その数分後にアナウンスが流れた。
「震源は仙台」それを聞いて生まれて初めて、
血の気が引いていく感じを覚えた。

思い出しても泣きそうになる。

その時に感じたこと、
一部はその時のライブでも確か話した。

私はフィリピンに行ったことはないから、
軽々しく「助けましょう」なんて言えないし、
言っていいのかわからなかった。
もやもやしている気持ちだった。
だけど、お昼に大きな地震があった。
私が東京に居る家族や親戚や友達を心配する思い、
それとみんなが「フィリピンに居る友達を助けたい」
そう思う気持ちは何一つ変わらない。
そう思えた。今回もやっぱり同じ気持ちだった。

カンボジアには行ったことがない。
ゴミの山もテレビでしか見たことがない。

でも、チャリアさんが涙を流し話してくれたことに、
私の胸が締め付けられそうになって心が動いたこと。
彼女が、辛かった過去を思い出しながら、
話をしてくれたその勇気を考える。
その時間を一緒に過ごしてくれた皆さんが居る。
このイベントに呼んでくれたコズミさんの思い。

そこには「ありがとう」という気持ちしかなかった。

音楽では直接、人の命は救えないけれど、
音楽を通して何かを変えたり、
そのきっかけを作ることはいくらでも出来る。
聴いた人の心を動かすことは、きっと出来る。
人を助けられるのは、きっと最後は”人”だ。

そうめぐりめぐって、音楽は人を救える。

そう信じようと、そう信じたいと、強く思う夜だった。

それは私が、音楽に助けられた経験があるように。

 

 

08.21(sun) 東京・渋谷 サラヴァ東京
田中茉裕 自主企画 シンガポールマッカートニー vol.3!!!

出演:朝日美穂 / 田中茉裕 / 国吉亜耶子and西川真吾Duo

田中茉裕ちゃんの企画イベント!

以前にもお誘いいただいていて、
その時は遠征ライブで都合が合わず・・。

今回は8月24日に企画ライブが決まっていて、
「そのような状況でも良ければ是非出演したい」
そうお伝えしたところ、快諾してくれた。

やった!

これは、僕らにとって、挑戦だった。
今まで2人でライブ活動して来た中で、
いつもいつも悩まされたグランドピアノ。

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『西川をさがせ!レベル10』答えは最後にあるよ。

グランドピアノは電子ピアノのように、
音量をつまみであげるわけではない。
大きな音を出したければ、大きな音で弾く。
これは電子ピアノも同じ原理だけれど、
感覚も何もかもが全く違う。

ピアノの音をどんなに全力で頑張っても、
ドラムの音の全力には絶対に勝てない。
(西川氏はドラムの音が大きいです)
2人が離れていればいる程やりやすいわけですが、
そうなるとアイコンタクトが難しくなる。

グランドピアノの音はマイクで拾う。
ピアノの音を拾っているマイクは、
隣で鳴っているドラムの音も拾っている。
だからピアノのマイクを上げても、
ピアノの音だけが大きくなるわけではない。
ドラムの音も大きくなるのです。

そんな葛藤もありながらも、
今回も一番いい距離感、一番いい音量を何とか見つける。

いつも西川氏にも全力でやることを望む私にとって、
西川氏がいつもの10分の1位の音量でやっていることは、
「ええー」と思う部分もあるわけです。

ですが!わかっています。
小さな音で表現することの大変さ。

大きな音量でどかーんと行ける時には、
小さな音との音量差、
ダイナミクスは自由自在だけれど、

大きな音を出せない時は、
小さな音と大きな音との表現の幅がとても大事になる。

それはピアノも同じことだ。

ピアノの場合はドラムと逆で、
いつも以上に大きなところで頑張らないといけない。
その差をきちんと付けたいと思うと、
やっぱり小さなところも大事になる。
そうだ、歌も同じだ。
大きな音を出せないからと言って、
楽曲にとって一番いい音の波は崩したくない。

わがまま!
なんてわがままなんだ!

でも、そうでしょう?
やっぱりその曲に、一番似合う服を着せたい。

今までのグランドピアノでやって来たライブで、
きっと、一番良かった。きっと。

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それはきっと、このマイクのおかげもあると思う。

使ったことのないマイクで少し戸惑ったけれど、
自分で持ち運んで使えないくらい、素晴らしいマイクです。
“SHURE KSM9”
お店の方にお願いして、お写真撮らせてもらいました。
マイクで全然違うんだもんなぁ。

田中茉裕ちゃんは、とても好き。
彼女の歌とピアノを聴くとワクワクする。
曲もとても好きだ。
彼女とお話をするのも好きだ。真っ直ぐだから。
初めて共演した時、終演後ずっとお話ししていて、
その時から、ここで一緒にやりたいって、
グランドピアノで聞きたいと言ってくれた。
嬉しかったし、彼女の想いに応えたいと思った。

そうだ。

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お店には色々なものがあって楽しかったよ
ちっちゃいアコーディオンも弾いてみたりした。
難しかった!

茉裕ちゃんがステージの横の方にビデオを置いて、
ライブを撮っていたのだけれど、
終演後にも回り続けていたので、
こっそりいたずらメッセージを入れておきました。

見たかなぁ。。

 

さあ、いよいよ答え合わせ!

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ここでしたー、ここに居ましたー!!

 

これで『国吉亜耶子and西川真吾Duo』という名前で

完全に2人だけでやる最後のライブが終わったのです。

 
どちらのライブも、
通常のライブハウスのブッキングとは違う。
いつもとは違った形で、
だからこそライブすることが出来て本当に良かった。

大げさに言うと、最後に与えられた試練。
大きなプレゼントだ。

 

カウント、ラスト・1。

 

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