首里城・真珠道

せっかくだから行って来た。

確か関西ツアーから戻った翌日だった。
あまりの衝撃で覚えている。
本当に悲しくなった。

首里城は長い歴史の中で何度も焼失している。
一番最近だと1945年の沖縄戦だ。
様々な場所が順次復元され、
1989年、首里城正殿、復元工事に着手。
そこから約30年にわたる復元工事が2019年1月に完了。
・・・したばかりだったのに。

1453年・1660年・1709年・1945年の焼失に次いで、
今回の火災で歴史上5度目の焼失となった。

2019年10月31日に発生した
首里城正殿をはじめとした主要7施設の火災以降
臨時休園しておりました首里城公園は
12/14より公園利用区域を拡大します

とのことだったので、行って来た。
この姿もまた今しか見れないだろうから。

守礼の門。

有料区域である正殿・御庭の部分が、
ちょうど未開演区域になっており、
その近辺を少しだけ通れる。

首里城公園Website
http://oki-park.jp/shurijo/ より

火災がどれほど大きなものだったか。
首里から少し離れた私の実家でも、
煙の匂いが凄かったと母が行っていた。

私の作った楽曲にもあります。
『真珠道』
真珠の道と書いて”まだまみち”。

以前はこんな目印もなかったはず。
私がこの道の存在を知ったのは、
東京に出て来てから。

当時、他界した祖母を想い作った曲で、
タイトルを何にしようかすごく迷っていて、
沖縄に因んだタイトルにしたいと思い、
インターネットで探して見つけた言葉。

へぇ、こんな名前の道があったんだ。

首里の守礼門を起点に、那覇港南岸まで続いていた道。
観光地として昔から有名な、
首里金城町石畳道(しゅりきんじょうちょういしだたみみち)も
真珠道の一部だ。

そこに私は勝手に祖母の人生を重ね、
何より”真珠”という言葉がぴったりだと思った。

真珠のような人だった。
ダイヤのような煌びやかさは無いかもしれない。
でも慎ましい美しさの中に、
品の良さと優しさと強さ。

私もそういう人になりたい。

ソフトクリーム片手に、
頑張って写真を撮っているところ。

この様子じゃ、
まだしばらく時間がかかりそうだな。

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