私の部屋だったところは、
当時から私の好き勝手にされていた。
もともと和室だったところに、
ウッドカーペットを敷いて、
砂壁には画用紙が貼られ、
そこにはポストカードやステッカー、
手書きの絵や文字で落書きされていて、
その上に釘や押しピンで針金が貼られていた。
母の衣装部屋には似合わない。
それらを全部剥がすところから始まった。
なかなかの体力勝負。
壁を元に戻し終えたら、
細かいもののお片付け。
開けてみた押入れ。
一度開けたらそのまま閉めたくなる。
手を付けるのが怖いくらい埃で覆われている。
雑貨や雑誌の切り抜き。
キーホルダーや文房具。
こんなものまで出てきた。
高校生の頃だったと思う。
家の電話が壊れて買い替えの時。
捨てられそうになった古いのをもらった。
自分の小さな部屋に置こうと思って。
もちろん本体は壊れてるし、
電話回線も無いから繋がらない。
なんでこんなペイントしたんだろう。
でも当時は楽しんでやってたよね。
どうせそこまでやるのなら、
クルクル電話線までやろうよ。
なんて思ったり。
兄のところを片付けて、
自分のところを片付ける。
母が保管していた私たちの幼い頃の記録、
自分の知らない自分をたくさん見つけて、
段々と湧いてくる思い。
「今までこんなに放ったらかしててごめんね」
忙しい中でこんなに物があったら、
片付けも掃除も出来ないよね。
情けなく申し訳ない気持ちでいっぱい。
その思いを払拭するように、
「よし、やるぞ!」と床を拭く。
しかしまあ、次々と出てくる。
何が入っているのかわからない袋。
怖いくらい出てくる。
恐る恐る開けてみる。
手紙、手帳、写真。
思い出す日々。
そしたら気が付いたことがあった。
覚えている人。
忘れていた人。
思い出せない人。
覚えている人のことって、
その写真があることも、
その人の存在も、
ずっと覚えていたんだって。
その時の自分の複雑な気持ちも、
影響されたあの子の言葉も、
全部しっかりと覚えていて、
今の自分では考えられないくらい。
そうだよね。
誰にだって初めてのことは、
わからないんだもの。
でも、心のどこかで。
ずっと引っかかっていたことに気付く。
今なら人の意見に簡単に左右されない私が、
あの時は「〇〇なんだってよ」という
友人のさりげない言葉に影響されたこと。
あの頃は不安だったし、
ものすごく慎重だった。
何もわかっていなかった。
あの時、
ああしてたらどうなのかなぁって。
そんな風に思うこと、
今回たくさん見つけた。
でも、
それらがあって今があるから、
きっと何も間違っていない。
そんな宝物を見つけた。
母の日のプレゼントが、
今の私へのプレゼントへ変わった。
その瞬間こそが宝物。
私は本当に
あの頃から素直じゃなかった。
鳴らない電話。
鳴らさなかったのは私。