渡川物語 6:魅力ある場所がここに

皆さんから聞いた話で気になっていた。
神門(みかど)神社。

ここには韓国の百済の王とご縁があるそうで。
百済の王というキーワードに馴染みがあった。
7月から10月までロングラン公演されていた、
楽曲提供している劇団『私を殺して』で出てくるワードだったから。
このお話の原作が韓国であることから、
「韓国では。。。」というちなんだエピソードがあり、
そのお話が百済の王の話だからだ。

《エピソード》

西暦660年、百済の国は唐と新羅の連合軍により滅亡し、
日本に逃げて来た百済の王族・武官たち。
安芸の厳島へ上陸するも、安住の地とはならず、再び海路を南にとる王族の一団、二艘の船があった。
一隻には、王の禎嘉王と第二王子の華智王。
また一隻には、第一王子の福智王と王妃たちがあった。

途中激しい風雨に襲われ、
日向のお金ヶ浜に漂着した禎嘉王たちは占いにより南郷村神門に、
また蚊口浦に漂着した福智王は、球を投げ定住の地を占い木城村比木に、
それぞれ仮の宮居を定め、国王たちは安息の日々を過ごした。

しかし、禎嘉王たちの所在を突き止めた追討軍は神門に攻め入って来た。
禎嘉王は坪谷の伊佐賀坂に陣を張り、敵を迎え撃った。
だか形勢に利なく、第二王子華智王は戦死を遂げた。
やむなく王は名貫の里まで退却、追討軍を前に、野に火を放った。
追討軍は火勢に悩まされて後退したが、禎嘉王も流れ矢に当たり傷ついた。

これを伝え聞いた比木の福智王は石河内、中股、雉野、渡川の豪族七人衆を率い父王を助けに来た。
援軍を得、味方の士気は大いに上がり、ついに追討軍を打ち破り、勝利を治めた。
しかし、王の禎嘉王は矢傷がもとで他界、共に王に仕えた多くの人達も殉死した。

後に、福智王は永くこの地を治め、里人の尊敬を集め比木神社に神として、
同じく禎嘉王は神門神社に、王の妃、此伎野は大歳神社に、華知王は伊佐賀神社にそれぞれ祭られた。

 

神門(みかど)神社。手を合わせる。

日韓交流の資料館・物産館、百済の館にも寄りました。

韓国の古都「扶餘」の王宮跡に立つ「客舎」をモデルに復元した建物で、
梁や柱の赤・緑・青の丹青(タンチョン)は、韓国の名工によって描かれたものだそうです。
百済文化の資料、民族衣装なども多数展示されておりました。
(衣装は着ることも出来たようです!着ませんでしたが。。)


すぐ側には西の正倉院。奈良正倉院の原寸大複製。
門外不出とされていた宮内庁所管の正倉院設計図を元に建築され、
奈良の正倉院と全く同じ作りとのことです。。

素晴らしい。

観光のあとは、宮崎空港へ向かう。

海が見えた。
すごくきれいなブルー。

渡川のある宮崎県東臼杵郡美郷町は、
決して豊かな自然だけでは無い、
見どころ満載の歴史的にも興味深いところでした。

個人的にはここで”百済の王”という、
耳に馴染みのあるキーワードを聞けたこともまた。

こういうことってあるんだなぁ。

しみじみと思った。

 

 

市内でうどんをいただく。

重乃井という釜揚げうどん屋さんで、
お店はお客さんでいっぱい。
店内にはジャイアンツのポスターやサインでいっぱい。

野球の宮崎キャンプで皆さん訪れるのだろう。

食べて納得。
すごく美味しかったです。

宮崎はうどんも名物なんですって!
ちっとも聞いたことなかった、知らなかった。

知らないこと、いっぱいあるなぁ。

 

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