ピントがズレてる位が美しい

ブログをアップしたら
ツイッターやfacebookに自動的に上がっていたけど、
いつからかな。

 

何ヶ月か前から、それを止めてます。

ここまでのライブのことを一気にアップした。

「やっと追いついた」

 

ふと思ったこと。

ライブの記録って必要あるのかな?

 

ライブ記録、これからは書きたい時だけ書こうかな。

 

ライブの感想って、
ツイッターの方に書くことが多くて、
ブログが全然追いついていないということもあるんだけど、
SNSの方が早いというのもある。

ツイッターというのはどんどん流れていくし、
届けたいところまで届かない可能性はある。

 

文字数制限というのもあるし、
伝えたい想いをまとめるのは大変だ。
それでもブログを書く大変さの100分の1くらいだ。

少なくとも私の場合は。

あれも、これも、となってしまうから。

文字を綴ることはすごく好きだ。
好きだからこそ、なんだな。
しっかり書きたいと思い時間を費やしてしまう。

 

いつだったか、一言でもいいから続けて書こう。

そう思っていたこともあったけれど、
(それは今でも思っていることだけど)
手軽に出来るツイッターばかりを使ってしまって、
いつの間にか結局facebookだって、
ツイッターに書いたものが上がるのが99%で、
わざわざ書き込むということが1%くらいになってしまった。

 

ライブの感想って、
今回ズラーッと続けて書いたけれど、
結局のところ当たり前のことしか書けていないんだな。

それはツイッターも同じことなんだけれど。

・「楽しかった」
・「思い切りやった」
・「聴いてくれた皆さん、ありがとう」

まるで永久保存版の記録
そうやって”書かなければならない”
そんな風に思っていたのは自分だ。

こんな記録なんて、
もしかしたら誰も求めていないかもしれない。

 

“いつか振り返った時や思い出したい時のために”

そんな風に思っていたけれど。
実際、それで役に立ったこともあったよ。

 

 

ー 記憶 ー

これくらいぼんやりしている方が
美しいことってあるよね。

 

覚えていることは覚えている。
忘れていることは忘れている。
それでいいんじゃないかって。

書きたいことがあれば書く。

でも義務のように書かなくてもいいかなって。
どうしてもライブのこと書かなきゃと思うと、
その間にあった書きたいことが書けなかったりする。

 

ライブの記録に関しても、
結局のところ書けないこともあるしね。

いいことばかりじゃない。
でもそういうことは覚えているでしょう。
心が動いたことは、いいことも悪いことも。
記憶じゃなくて心や肌の温度が覚えている。

 

「忘れる」

そのテーマでどれだけ話をしてきただろう。
ライブのMCや過去のブログもそうだ。

“忘れたいことほど、覚えている”

「忘れたいと思っている時点で忘れられない。」
「それは覚えておくべき大事なことだ。」
「いつか忘れてしまったら、それはもう、忘れていいということだ。」
「人は忘れる生き物だ。」
「人間の忘れるという能力にどれだけ助けられてきただろう。」

そんな風なことを、
よく言ったり綴ったりしている。

 

ずっとそう思っていたし、
今でもそれは変わらず思っている。

でも、最近は違う思いもある。

 

忘れたいことがある。

忘れられないことだ。

 

それは忘れたらダメなこと?

忘れたくて、
でっかい小槌で頭を殴ってくれと、
お願いしたこともあった。

それを忘れるためなら、
記憶が無くなってしまっても構わない、
そう思ったこともあったくらいだった。
そんなに都合よくいかないんだよな。
「わっかりました!はーい、行きまーす!!」
みたいに殴ってくれる人なんていないものね。

そんな奴がもしも居たとしたら、
先にこちらがぶん殴っているような、
出来事が起こっているはずだ。

 

「どうしてこんなことが自分に訪れるんだ。」

そんな風に思っては、
それは全部私がいけないのだと、
そう思うことが、
せめてもの救いだった。

誰かのせいにすることが嫌という、
キレイな気持ちなんかじゃないよ。
自分のせいにすることの方が楽なんだ。

本当ならば誇りに感じるべき、
自分のある能力の部分にまで、
すごく罪悪感を感じていたし、
自分はどうしてこんな風になってしまったのかと、
追い詰めることなんて、
今までどれだけあっただろう。

そして

「こんな風にしたのはお前だろ」

そう思って気持ちを落ち着けるわけ。
全部、自分のためにやっている。
つもりだったんだけどな。

 

もしも今、
これを読んでいる誰かが、
過去に囚われてしまって、
とても苦しい気持ちだったとしたならば。

 

きっとね、
忘れていいんだよね。

忘れるようなことがきっとある。
あれはなんだったんだろうって、
忘れさせるような出来事がやってくる。

 

今までの私はずっと、
忘れることへの罪悪感もあった。

次にやってくる喜びや幸せのため、
そのステップにするために、
絶対に忘れちゃいけないんだって。

“それがあったから”
“それがあったから幸せに思えるんだ”

そう思うこともあるだろう。
それに、そう思えたならラッキーだ。
だって、事実は決して変えることは出来ないから。
起こってしまったことは仕方ないから。

 

でもね。

それが無いと感じられない幸せなんて、

私はやっぱり、いらないかな。

 

それでも忘れられないことは忘れられない。
忘れちゃいけないこともたくさんある。
そんな当たり前のことの、ちょっと先の話だ。

 

最近ある男の子と話をしていて思ったこと。
最近ある女の子と話をしていて思ったこと。

 

出会うべき人とは、
どんな形であろうときっと出会える。
出会うべき時に出会えるように出来ている。

そうだよね、きっとそうだよ。

 

私は、信じているよ。

君が幸せになること。
君が誰かを幸せにすることを。

みんな、君で、
みんな、誰かだ。

 

生まれてきた瞬間から

ぼくらはみんな

誰かの大切な人。

 

 

 

See ya!

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